top > 雅堂本舗の江戸御府内三十三観音巡り Vol.0007



〜前号(Vol.0006)からの続き〜



上野の山を東叡山としただけでなく、不忍池を琵琶湖に見立てて中島を築き、竹生 島の代わりに弁天島(堂)を設けた。
 しかし、不忍池は水草に覆われて、池というより沼地の様相を呈していて、ボート 池以外の場所では水面はほとんど見えない。


 広重の描いた「江戸名所百景」のひとつに数えられ、明治6年に太政官の布告によ り、日本初の国定公園が誕生した。上野恩賜公園をはじめ、政府が定めた他の公園と は、増上寺、浅草寺、富岡八幡宮、飛鳥山の5ヵ所である。

 そのきっかけが、幕末に来日したオランダ人医師・ボードワン博士で、陸軍&大学 病院の建設予定地視察のために、上野の山の風光明媚な景観を目にして、「かかる景 勝地は、西欧の都市に習って公園とすべし」と提言。噴水池の北側に、公園恩義の碑 として博士の胸像がある。


 公園内には他にも、彰義隊墓資料館、野口英世博士像、谷文ちょう碑、グラント将 軍(アメリカ合衆国18.19代大統領。12年に来日)植樹碑、森鴎外旧居宅「舞姫」の 碑、蜀山人句碑、西条八十作詞の名曲「歌を忘れた」のかなりや碑など、観音巡りの 「ついで」では済まないような、記念碑がそこかしこに点在する。 


 子供の頃に来た動物園や、思春期のデートで使った博物館や美術館、大人になって からの花見くらいしか縁がない人は、改めて東叡山を散策してみてはいかがだろう。 きっと新しい発見があるはず。


 宝永4年(1707)、名古屋から江戸に進出した松坂屋は、白木屋(東急)、越 後屋(三越)と並ぶ呉服屋の大店として親しまれた。

 松坂屋がデパートになったのは、昭和4年のこと。





◎寄り道情報

 寛永寺の門前町として栄えた上野には、江戸時代に開業した老舗も多い。
 安政6年(1859)創業の蕎麦の「蓮玉庵」、その並びにある鰻の「伊豆栄」は さらに古く、8代将軍吉宗の頃に店を構えたというし、福神漬けの「酒悦」の看板に は、「300年の味」と記されている。


 明暦の大火後、火事の延焼を防ぐために造られた広小路に出れば、寄席の「鈴本演 芸場」の先には、和菓子の「岡埜榮泉」や和服の「鈴乃屋」などの老舗が軒を並べて いて、「酒悦」もこの並びにある。

 歩き疲れて甘味が欲しいなら、みつまめと小倉アイスが名物の「みつばち」も歴史 があるし、この町が発祥と言われるとんかつの老舗も健在で、「蓬莱屋」に「本家ぽ ん多」、「双葉」に「井泉」など、いずれも味自慢の店ばかり。


 テレビの「おはなはん」のモデルがこの店の先代という噂に誘われて、四半世紀ほ ど前に小遣いを奮発して入った、「蓬莱屋」のヒレかつの味が忘れられない。
 当時=昭和51年、「蓮玉庵」のせいろそばが1枚130円の時代、「蓬莱屋」のひ れかつは1200円という高級料理だった。

 昭和の生活を懐かしむなら、「下町風俗資料館」(月曜休み・入場料300円)で も覗くとよい。土産にするなら柘植くしの「十三や」や、有職組紐の「道明」も趣味 人の間では知られた店である。

 浅草から上野まで、のんびり歩いて1時間。
 もしも50代以下の人で、「足が棒のようで、ジンジンする。もう歩きたくない」と いうほど疲れているなら、日頃のいかに歩かない生活をしているか、運動不足を反省 して、日々歩くことを心がけたい。


 40歳を過ぎると、年に1%ずつ筋力が落ちると聞いたことがあるが、意識して鍛え るどころか、歩くことさえ億劫がる人の筋肉は、それ以上のパーセンテンージで退化 していることになる。

 そんな人を脅すつもりはないが、杖を突くか車椅子に乗る日がそう遠くない未来に 確実にやってくる、と覚悟しておく必要がある。

 足の疲れがひどい人は無理に進むこともないので、この日はここで打ち止め(遍路 用語で、札所を巡ることを、「打つ」という)にして、次回は再び上野から歩き始め てはいかがだろう。


 逆にまだまだ元気で歩き足りない方は、不忍通りから本郷通りに向かって、湯島天 神を目指そう。湯島天神の男坂の下に、ひっそりとした感じの第七番札所・心城院が 現れる。





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