top > 街の由来は地名から Vol.0007


こんにちはクバ(理事長)です。

東京23区の区名の由来を書いていっています。荒川、千代田、中央と続いて今回は港区です。この港区は芝、赤坂、麻布の3区が合併してできた区です。

芝区の範囲は現在の芝、新橋、芝浦、三田、高輪辺りの低地から高台に上がる一帯で、芝の地名は武蔵野の末の芝生の地であったからといいます。 江戸湾に面した古川河口に漁業集落ができて中世には芝村となり、面している海は芝浦と呼ばれました。神田や日本橋と共に江戸の市街地でした。 将軍家菩提寺増上寺があり、高輪大木戸は江戸と郊外の境界でした。もともとは江戸市街地で下町的な場所であったのですが現在はオフィス街になっています。




赤坂区は今の赤坂、虎ノ門、青山などで、赤坂の地名の由来は赤土の坂があったからという説があり、外堀に面した紀伊国坂が赤土であった、 坂上に茜草が自生し赤根山と呼ばれたからという説や、染物屋甚三が赤い絹を干した坂など諸説ありますが、関東ローム層の剥き出しになった赤土の坂が あったのだと思います。今では通りの名前などにしか残っていない一ツ木の方が中世には知られた地名でした。下町と山手、江戸市街地と郊外の境界にあった 赤坂は幕末から明治にかけて花柳界が形成され花街として栄え、戦後は繁華街として名を馳せていきます。ディスコ発祥の地も六本木や新宿ではなく 赤坂なのです。



麻布区は麻布、六本木界隈が範囲でした。江戸時代は郊外で山手と呼ばれる場所でありました。麻が生えていて、 その麻から布を織ったことから麻布という地名になったと言われています。江戸の郊外として大名の下屋敷などが多くあったため、 それが大きな公園や外国の大使館となったため、緑豊かでインターナショナルな土地になりました。外国大使館が多く外国人がたくさん居住したために 最新の外国文化を体感する土地となり、テレビ局もあったので芸能人も多く流行の発信地ともなりました。こうした文化背景のある3区が昭和22年に合併し 港区になりました。





青山・青葉・愛宕・城南・東港・飯倉・三田など幾つかの候補の中から江戸城の南を意味する城南区と、東京港を意味する東港区 (とうこうく)に絞られ、最終的には東港区が残りました。東京都東港区だと似たような音が重なるので、「東」を除いて港区としました。下町から山手 にまたがる地形で、山手の台地の東端で幾つかの川によって浸食された谷が枝状に分かれ都内でも坂の多い区になっています。山手というと世田谷や目黒を 思い浮かべる方も多いと思いますが、本来の意味でいえば麻布や赤坂などが山手です。芝、新橋あたりも高層ビルが連なって下町的なイメージはありませんが、 江戸城の城下町として、近年までは住宅地であって本来の意味の下町でありました。東京有数のオフィス街、大使館がたくさんあって外国人の多い街、 緑豊かな高級住宅街、おしゃれなファッションタウン、東京港がある海の玄関口、テレビ局が3局もあり芸能人も多く訪れる街、開発著しいお台場の一部も 港区であります。港区は東京を代表する場所の一つであるといえるでしょう。華やかで賑やかなイメージを持つ人も多いのですが、 静かで落ち着いた場所も多く、大人の雰囲気を持つ街、隠れ家的な店もあったり私の好きな地域です。






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